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2009年1月 8日 (木)

中野区・囲町の歴史(16)

上山輝一区長は、税理士(当時は会計士制度)事務所を営む傍ら、区会議員、都議会議員を務めた後、区長に就任されます。当時の特別区の区長選挙は間接選挙で、区議会議員が本会議開き、投票して選任されていた時代です。今のような公選制ではないのですが、区議会、都議会議員としての経験を生かされた区長として、区民の信頼も厚く、区民の声を汲み取った施策が展開されます・・・・

上山区長の出身は和歌山県でした、当時の和歌山県選出の国会議員に、庄示啓次郎氏がいて、早速上山区長は同郷である庄示代議士のもとへ足を運びます。また、当時の国会で辣腕を奮っていた若手実力者が田中角栄氏でありました。警察大学校敷地開放用地への公共施設誘致話は田中角栄に届きます。、上山輝一区長は、若手区議会議員を伴い、田中邸へと向かいます。

地元商店街の総意を届けにいくのですし、中野駅前周辺のまちづくりのため必死の思いで田中邸を訪れたものと推測されます。ちなみに、同行した当時の若手区議会議員は、皆30代で新進気鋭の高橋一郎、高木一明、市川信夫の三区議であったと伺っております。田中角栄氏との面会はわずか3分程度であったとも伺っております。

そこで区長の口から事情が説明され、田中角栄氏が電話の受話器を取り上げ電話をかけた先が、当時の労働省です。そこでのやりとりは「労働省に青少年会館の構想があるようだが、あれを中野に頼む」の一言だったようです。っ受話器を置くや否や、「わかった」の一言で陳情は終わり。果たして、昭和48年、中野サンプラザ(全国勤労青少年会館)はオープニングセレモニーを迎えます。

テープカットに訪れた当時の内閣総理大臣が田中角栄氏であったとは、何か因縁めいたものを感じます。

次に続く・・・・・

1月 8, 2009 中野区 |

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